先日、あるビジネス誌の取材があった時の写真です。笑
そこからフツフツと考えてしまっている。
パール幼稚園に携わり30年が過ぎ、
園長職に就いて25年になります。
振り返ってみるとなどという言葉は使いたくありませんが、
振り返ってみれるほど、
歳月が経ったということは確かなことかと。
28年前・・・
若き頃の改革に賛同を得られず教職員の総退職。
文化も伝統もすべて失い、
すべて1からつくりあげてきた。
ハードはあったもののソフトは別物。
3代目にして創設者。
今は過去からの延長であり、
未来は今からの延長となる一直線上のもの。
並行線で進んでいくか?
右肩下がりで進むのか?
右肩あがりで進ませるか?
これは自分次第。
このことは身をもって理解している。
パール幼稚園という芸術・・・
この芸術は波打ち際のサンドアートのようなもの。
気に入らなければ自らの手でぶっ壊し、
時代という波にもさらわれ崩れてしまう。
時代という波が押し寄せても崩れないように、
自らの手で壊しながら確固たるものに仕上げていく。
「たくさんのこだわりがあるように感じますが、
これまで大切にしてきたことは何でしょうか?」
そんな質問に戸惑いを感じてしまった。
「ファンが生まれる幼稚園」という理想を掲げ、
「やり方」「あり方」「魅せ方」という
3つの柱に軸にして物事を構築してきた。
やり方の前にあり方ありき・・・
これが厄介だ。
実は「あり方」に固着してしまうと、
それは「あり方」が「やり方」となってしまい、
前に進むことを受け入れがたくなる。
故に・・・
その「あり方」は大切な「あり方」でもあるが、
マイナスな「あり方」として形づくられていく。
そのマイナスな「あり方」を文化や伝統と錯覚する。
すると「あり方」は「やり方」とカタチを変え、
「あり方」を見失っていく。
「あり方」の本質からズレていくということだ。
それは過去に生きていることであり、
今に生きてはいないということになる。
私が自分でカタチ創ってきたものを、
自らの手で壊していく葛藤。
この葛藤を分かち合える人財を育んでいくにも時間はかかる。
パール幼稚園にいる一番に古い人間であるが、
パール幼稚園では一番新しい思考の人間である。
陰で老害っていわれる日まで、
常にアップデート。
大切にしたい信条だ。
これまではこれからが決めるものということだ。