園庭の定点観測地であるデッキのベンチ。
この時間はとても大事。
全体を見渡すことで様々なことが見えてくる。
園児の様子。
クラスのまとまり。
担任の先生方の姿勢。
様々なことが感じることができる。
モノの見方ひとつで、
全体は見えなくものなのです。
目の前のことのみに囚われてしまい、
俯瞰して判断することが難しくなることもある。
しかし・・・
全体ばかり見ていては、
現実的には少しも進歩しないということもあるのです。
このジレンマを抱えながら、
どのように柔軟に対処していけばよいか。
目の前のことに一生懸命取り組み、
楽しく・・・
実感を伴いながら進めるのは人間的でいいと思う。
しかし・・・
ときにデータとして、
先入観に惑わされずに判断し、
実行することも重要になるものなのです。
この部分は、
どちらかというと、
機械的と言えるかもしれない。
文系発想と理系発想の違いという見方もできるだろう。
一方・・・
その場その都度のベストを出し、
全体への関心が薄くなる。
もう片方は、
全体を見ながら目の前の状況を最適化しながら淡々とこなす。
この両者は互いに必要な発想だと思う。
どこまで行っても人間であり、
非人間的に物事を処理するのには違和感もある。
しかし・・・
実際は物事を抽象化して、
データとして見ることで客観的に
どんな手を今打つのがベストなのかは見えてくる。
人間の先入観や慣性のようなもので全てを判断してしまうと、
攻めるべきポイントが曖昧になってしまう。
詰めの甘さが残り、
勝ち切れないパターンとなってしまうもの。
普段、楽しみながら、
モチベーションを維持しながらやることは大切なことである。
一方で、
全体を俯瞰してどこが勘所なのかを
鋭く見抜く力もパフォーマンスを高めるというのは事実。
理系と文系の発想を内包するのが、
情報量を増やすということではないだろうか。
目の前に没頭してガンガン攻める時、
その選択肢が間違ってなければ、
そのアプローチは功を奏すだろう。
一方で情報量を増やすと別の見方にも気付ける。
何かを選んでいる時点で、
他のものが見えなくなるというリスクを取っている。
逆に・・・
十分な情報を持っていて、
全体像が見えていれば、
今取り組むべき一手は自然と決定されていくことになるのだ。
だからこそ・・・
情報収集には手を抜かずに取り組み、
見方を変えて広げるような視点を大切にしたい。
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