優しさは…
努力して身につけるものではない。
なぜならば、
自然に生まれるものだから。
なのに…
この社会では優しさが生まれにくいのであろうか。
その理由は、
人が理解よりも評価を先にしてしまうからだと考える。
分からない相手を、
分からないまま置いておくことができない。
だから人は、
賛か否か。
安全か危険か。
急いで区分してしまう。
評価は楽であるが、
理解は、時間がかかる。
理解しようとする行為は、
自分の価値観を揺るがせることになるから不安を伴う。
だから… 理解する前に決めつけとなり、
優しさの芽は摘まれてしまう。
優しさとは、
相手を肯定することではないし
同意することでもないと思う。
分からない存在を分からないまま尊重すること。
人は分からない自分を認めることを嫌がる。
無知を認めるより、
批判した方が楽だから。
だから・・・
優しさは、
個人の問題ではなく、
社会の構造として生まれにくくなっている。
まず必要なのは答えではない。
立ち止まること。
判断を急がないこと。
分からない自分と、
しばらく一緒にいること。
その思考時間の末、
優しさは生まれる。
優しい人は
自分に明確な答えを出してくれる人ではない。
自分を理解しようとしてくれる人だ。
でも勘違いしてはならない。
自分を理解される努力をしないと、
何も生まれない。
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