パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】称賛へ・・・
出る杭打たれる・・・
打つのが嫌になるくらい出まくる。
ひとつの回避する方法だとも思っています。
批判する側か批判される側か?
世の中には、
批判する側の人と批判される側の人がいます。
多くの人は批判する側が多いです。
批判することは簡単ですから。
過去において何かを成し遂げた人たちを見ると、
間違いなく批判される側の方ばかりです。
行動、実践していく人は、
残念ながら、
途中経過では批判されることが多い。
それでも続けていくからこそ、
新たな結果を残せるわけだと思います。
夢や願望を実現していく人たちも批判される側の人。
これも事実です。
もちろん、
批判される内容にもよりますが、
一般的に人は、
自分が実践できない事などを、
他人が実践すると
何かと理由をつけて批判したくなるようです。
できるならば、
誰かが何かを実践し続けているのを見たら、
それを批判するのではなく、
称賛できるひとでありたいものです。
人を褒める、
称賛することはとても大切ですが、
それで満足することなく、
称賛される側でありたい。
それは難しいことではなく、
たとえば、
自分で決めたことや、
組織から任されていることなどを
プラスαで実践することです。
よく言われることですが、
他者から批判されるくらいの
突き抜けたことを続ければ、
それは必ず称賛に変わる時が来ます。
今までと変わりなく、
可もなく不可もなくの行動をとり続けても、
何も変わりません。
何かに依存してばかりでも何も変わりません。
内側から変えていくことが、
自分自身が変わること。
勘違いして欲しくはありませんが、
批判される事がいいのではありません。
仕事をしているのに、
約束やルールを守っていない、
任された事をやってない、
言い訳ばかりで行動していない、
行動するとしても自己都合なことばかり・・・
そういうことでは困りますし、
それでは周りから批判されてしまうもの。
ここで言っている批判されるとは、
そういうレベルの批判ではありませんので、
都合よく解釈しないで欲しいのです。
称賛に値する批判という意味です。
何かあるとすぐに人を批判するのは楽でしょう。
しかしそれは多くの場合、
心のどこかで
自己保身、自己弁護、自己主張のためである事が多いもの。
批判する側になるのではなく、
よい意味で批判される側になること。
仕事においても、
目的、目標に向かって
批判されるくらいの行動がとれるようになること。
パール幼稚園・・・
幼稚園界ではガラパコス化しているようです。
誰もが追従できないほど、
様々なことを手掛けてきました。
近頃、また・・・
私のノウハウを公表する機会が多くなりました。
するとね・・・
外的要因は苦しくなる時もありますが、
『ファンが生まれる幼稚園』
という概念がありますから、
それでもいいのです。
誰もが羨む幼稚園にすること。
この一点です。
ないもの創る!信条ですから。