パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】どうでもいい話。
スマホに見慣れない電話番号が表示され、
営業だと思いでなかったのですが、
すぐさまショートメールが入り。
卒園児からだとわかった。
なぜか携帯の電話番号を知っているレアな奴。
高校時代は野球に没頭し、
毎回のように、
定期テスト期間には幼稚園に立ち寄り、
私とたわいもない話をながらお茶して、
勉強しなきゃ不味いと言って帰る。笑
大学に入り社会人となり、
神奈川県の特別支援の教師になった。
またに、
どうしてるかと気になっていたのだが、
電話の内容は、
今は某国大付属で特別支援の教師をしているという。
結婚して、
来年、子供が生まれるとの嬉しい知らせ。
お嫁ちゃんと話し合って、
パール幼稚園に預けたいということになり、
今は遠くに住んでいるけれど、
パール幼稚園に預けたいから
蒲田に家も買ったので、
絶対にパール幼稚園に入れる!という連絡と、
ついでにメシに連れてけという話。笑
いろいろな卒園児がいます。
卒園児の中には、
皆が知ってる地元の大きな会社の社長様もいたり、
地域のお医者様もいたり、
美味しいお店のオーナーもいたり、
地域の街づくりに貢献していたり、
スポーツの世界で活躍したり、
世界に羽ばたいていたり、
ホントいろいろな人材が育っています。
その中には・・・
もちろん、
パール幼稚園の先生もいたり。
様々な役割を担い世の中に貢献してくれています。
14日で70回目の創立記念日を迎えます。
正確に卒園児数を追ったことはないのですが、
6500人以上であることには違いはありません。
というか・・・
先先代は創立当初のアルバムや資料とかも
自宅で保管していたらしく、
家を立て替えるときに、
野村の親戚に処分されてしまったというオチ。
ですから・・・
過去の資料をまとめて周年誌とかもつくる気も起きなければ、
(周年誌のお手伝いをとお声かけいただけた方もいたのですが)
発起人も教員の中から名乗りでないので、
(こういう常識を知らない世代?ばかり??)
周年式典も行わずの70周年。
大事なことを蔑ろにして!!と、
歴史を知る地域の重鎮の方々にお叱りを受けた70周年。
創立100周年まで30年。
私の代でないことは確かだが、
これからも多くの進化を遂げていくことにも違いない。
これからの30年は、
今までの30年よりも劇的に進化する時代だ。
時代の最先端は時代の異端。
これまで通りに3手先まで見据えて取り組んでいく。
パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】リーダー求む!
様々なことが同時進行で進む2月。
恒例の如く、
やらなければならないことに追われる日々。
でも・・・
その先には未来がある。
本日はお勉強。
組織のトップ論ではなくリーダー論。
所謂・・・管理職の方々が集う勉強会。
リーダー求む!!
コレが私の課題となっていること。
リーダーを置かずに5年間過ごしてきたが、
いよいよ無理だ・・・。
来年度は学園総勢60名を超す先生方となる大所帯。
主軸となるであろう世代は、
娘のような世代が大半を占めることとなり、
言葉を10投げかけたとすれば、
幾つ拾ってくれるか検討もつかない。
なので・・・
代弁者が必要であり、
私にとってのフォロワーが鍵を握ることとなる。
報告、連絡、相談、報告、確認、打診、根回し。
コレらは必要最低限のことであるが、
必要最低限でさえままならない現状。
大抵のこと、
私が確認し情報を拾いにいく流れ、
恥ずかしい限りだ。
私の考えるリーダー論と、
リーダー論のすり合わせがしたかったのだと思う。
パール幼稚園の美しさを共有し、
そして語れ、行動に移せている者。
組織は99%はトップで決まる。
しかし・・・
残り1%の0.9%はリーダーで決まる。
チームの力はリーダーの力だ。
どれだけ優秀なメンバーが揃っていようとも、
適切なリーダーがいなければ、
チームは烏合の衆となる。
リーダーが優秀であれば、
チームの力は最大限に発揮される。
リーダーは
総じて、
自分勝手ではいけない。
常に周りの事を気に掛ける。
成果は部下のおかげ、
責任は自分がとる。
正しい判断力は、
正しい知識や経験から得られる。
統御力は、
経験年数や知識だけでは不十分であり、
それが身に染みて修得できるか?
どうかが一番重要であり、
そのために欠かせないのが実践陶冶と言う言葉。
簡単に言うと、
トライ&エラーを繰り返しながら、
上手く行った経験から達成感を得て、
間違えたりミスしたことから教訓を得る。
そうやって、
自己の人間性を高めて行くこと。
分り易い言葉だと、
スパイラルと言う表現が当てはまるのかなと、
個人的には思うところです。
教育とは人たる所以を学ぶこと。
受容性と包容力も決めてとなる。
そして役職が人を育てるということも事実だと考える。
パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】同じ土俵に・・・
都議会自民党私立幼稚園振興政策研究会と
東京都私立幼稚園連合会との意見交換。
コロナ前には毎年の恒例で開催されていた会。
6年ぶりの会。
各地区選出都議と各地区団体長が顔を合わせ
地区の話ではなく東京の話をする日。
伝えたいことは、大きく4つ。
・平成27年の都内の平均保育料26,300円での
都上乗せ負担の1,800円を現在の平均保育料まで引き上げ。
・9月から始まる第一子の0・1・2歳児の保育の無償化に対する問題
(コレは多様な他者との関わりを創出する事業にも適応します。)
・ 保育士と幼稚園教諭の処遇の格差について
(まずは保育士の85,000円の住宅借り上げ制度を幼稚園教諭にも)
・東京都認証学童保育制度のハードルを下げると私立幼稚園も協力できること。
(福祉局予算でなく私学部予算にしてほしいこと)
わたくし達の都政への要望を実現させるためには、
議会に後押ししてただくことは必要不可欠なのです。
写真は東京都私立幼稚園連合会会長の内野光裕先生。
とてつもない知識と情報量を備える先生。
いつかは同じ土俵に立ちたいと思いながら6年が経つ。
まだ、まだであるが・・・
ようやく話が理解できるようになってきた。
対話したい相手がいるから同じ土俵に立ちたい・・・
ということ。
話したい相手は山ほどいる。
だけど今のままじゃ話すことはできない。
それ以前に声をかけることさえできない。
どうしたら話すことができるのか?
声をかけられるようになるのか?
方法は簡単であるようで難しい。
それは話したい相手と同じこと(勉強)をやるということ。
そうしないと相手と話ができない。
話したい相手がいるから、
相手と話ができるように自分がそうなる。
相手と同じレベルになることは出来ないけど、
相手の話が最低限分かるようになれば、
声をかけたり、挑んだり、
ちょっとでも近づくことが出来るかもしれないと思い、
まずは同じ土俵に立つことを目指して6年やってきている。
東京の副会長として、
会長の最強のフォロワーであることを目指している。
当たり前の話だが、
そばにいて、そう想い勉強し、行動に移して7年目も経つが、
まだ、まだ、まだ。
トンデモない先生と同じ土俵に立とうとしている自分がいる。
パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】スタイルの移り変わり
パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】自分を知ってるかい?
うたいながら言葉を理解し、
リズムと感情が交差しながら、
自由に表現する。
もっと自由に!!
指導を進める上で指導者が忘れがちになること。
UTABUTAIも近づいてまいりました。
UTABUTAIはゴッコ遊びの延長であるべき。
特に保育所の1歳児、2歳は自由に表現してほしいもの。
1歳、2歳の声帯が形成されつつある時に、
上手に歌わせようと発声練習などをもしても、
意味がない。
むしろ控えてほしい。
本園の行事は学齢の成長を
感じていただく時間でもあるのです。
幼稚園教育の過程と保育所教育の過程の違い。
日々の積み重ねのによる
カリキュラムの違いがあることを認識してほしいもの。
幼稚園の最年少との競い合う行事ではない。
UTABUTAIの根底は自由な表現の場であること。
人生の目的は幸せになること・・・
これはば人共通ではないかと考えます。
アドラー心理学によると。
幸せのには3条件があると言います。
自己受容
ありのままの自分を認めることができる状態
他者信頼
自分だけでなく、他人にもOKを出せる状態
他者貢献
自己を犠牲にすることなく、他者に貢献する状態
さて・・・自己寛容。
近年は育児雑誌をひらけば目にする自己肯定感。
子どもには自己肯定感の前に
自己需受容が大事なことと思っています。
子どもの自立と自律を促すには、
他者信頼 → 他者貢献 → 自己寛容
というサイクルの繰り返しだからです。
まぁ・・・自己肯定感と自己寛容のバランス。
何事もバランスが要となりますが、
自己寛容とは、
弱い自分も受け入れることができることです。
この自己寛容がベースにあって、
初めて自己肯定感が生きてくるのです。
自己寛容の要素が欠けたままで、
自己肯定感だけを育んでいくと、
自分を過信しすぎてしまう人。
(やってるつもりに気が付かない)
できない自分を認めない人、
何よりも何でも原因を外側に・・・
人のせいにするようになってしまう。
自己を犠牲にすることなく、
信頼する相手のために見返りを期待せずに貢献する。
その結果・・・
相手の心からの「ありがとう」という
感謝の言葉をもらう。
不完全な自分でも、
だれかの役に立てば、
こんなに喜んでもらえるのだと実感する。
この流れは大人になって仕事をしていても大事なこと。
パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】・・・。
ビンテージ??・・・笑
パール幼稚園も70周年。
お爺ちゃまが卒園児。
お婆ちゃまが卒園児。
パパが卒園児。
ママが卒園児。
みなさまのおかげで
地域に根ざす幼稚園でありますから、
そのような園児も多くいます。
本日は最年少の園児がママが来ていたであろう??
30年前のカーディガンを着て登園。笑
コレをヨシとするか?は複雑ですが。笑
このモデルを知ってるというか、
着ていた髙◯◯帆先生も喜んでいる様子でした。
そんな卒園児のひとりである。
高◯○○花先生・・・
日頃のドジを挽回するかの如く
本日はご活躍。
なんで?青鬼なんでしょ??
さて・・・
「長所や短所」と「好き嫌い」は
全く別ものだと思うのです。
長所が強いものでも、
それだけで好きになることはないもので、
逆に、短所だらけでも好きになるというものはある。
欠点が少ない人は人に好かれやすいが、
欠点がなく、
人に好かれている人が気に食わない、
というひねくれた人もいる。
万人に、
誰にでも好かれる人というのは、
なかなかいないようにも思のです。
まぁ・・・
そのような人は存在しないのではないかとも思う。
同様に・・・
欠点がある人は嫌われがちだけれど、
欠点だらけなのに妙に好かれている人もいる。
「なんか憎めない」などと評価されたりもするもので、
欠点がない人・・・
たとえば、子どもで、欠点がなく、
なんでもそつなくこなす子のことを
可愛げがないと評価したりする。
逆に・・・
自分では何もできない子は、
見方によっては可愛げしかないだろう。
助けてあげなきゃ、
という気持ちにさせられ、
それはそれで人々の関心を呼ぶかもしれない。
何でもそつなくこなす可愛げのない子は、
構ってもらうきっかけも少なくなってしまったりもする。
もちろん・・・・
そういう子でも可愛がられる子はいる。
その部分の正体は一体?なんであるか?
それは「愛嬌」ということに尽きるであろう。
長所・短所というのも主観によるところが大きいため、
人によって多少のブレがあるかもしれないが、
やっぱり愛想は大切である。