パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】令和6年度入園受付
令和6年度入園受付・面接が終了いたしました。
少子の時代にも関わらず、
多くの方々に出願いただきました。
ありがとうございます。
これからも、
よりよい園創りのために
研鑽を積みながら励んで参りますので、
ご理解とご協力のほど、
よろしくお願いいたします。
残念ながら、
ご希望に添うことができない方々もいらっしゃいましたが、
これからの
お子様の健やかな成長をお祈り申し上げます。
令和6年度入園受付・面接が終了いたしました。
少子の時代にも関わらず、
多くの方々に出願いただきました。
ありがとうございます。
これからも、
よりよい園創りのために
研鑽を積みながら励んで参りますので、
ご理解とご協力のほど、
よろしくお願いいたします。
残念ながら、
ご希望に添うことができない方々もいらっしゃいましたが、
これからの
お子様の健やかな成長をお祈り申し上げます。
ある幼稚園の園長先生がボヤいてました。
なんでお遊戯会の衣装は面倒だと言い、
ハロウィンの仮装の衣装には文句が出ない!と
カンカンでした。
なるほど時代だ・・・笑
ハロウィンもイベントから、
日本の文化になりつつありますね。
本来の目的と異なって日本流仮装行列??
という感じに思えますが。
さて・・・
自分の価値をあげたいなら、
ただ「やる」1%の人間になればいいと思うのです。
世の中には2種類の人間しかいません。
それは「やる人」と「やらない人」。
様々な人をみてきて、
色々な経験をしてきて思うことは、
人は「できる人」と
「できない人」がいるのではなく、
「やる人」と「やらない人」がいるということ。
例えば・・・
私が「この本おすすめだよ!」と言ったとして、
すぐに買う人が何人いるか?
100人中5人ぐらいだと思います。
(オマエの影響力がないんだよっとか抜きで)
そして・・・
その本を実際に読むのが3人ぐらい。
そこから・・・
その本に書かれていることを
行動としてアウトプットするのは、
1人いないかもしれません。
パール幼稚園の先生方に
読書をしなさいとも言いますが、
実行している先生は多分・・・0人。
BaBy Pearl Nursery には、
読書家の先生が1名います。
Pearl Nursery Schoolもいないでしょう。
話は戻って・・・
実際に実験をしたわけじゃないので、
証拠も無い数字ですが、
私の肌感として、
実際に実行する人は100人に1人ぐらい。
つまり1%ぐらいだと思っています。
そこから・・・
単発のアクションではなく継続する人は、
更に100人に1人だろう・・・
言いすぎかもしれませんし、
数字の根拠はなにもないですが、
それぐらい少ないのは確かなことです。
ですから・・・
続けるということができるだけで、
世の中ではかなり優位に立てたりします。
周りが勝手にやめていくからです。笑
もちろん・・・
ダラダラとやってるなら、
優位には立てないですが・・・
でも・・・
こんなことは誰でも頭では
わかってるんじゃないかと思うのです。
だからここで話しても、
「そりゃそうだ!!」
って思うことでしょうけれど、
それでも、
アクションを起こす人は増えないし、
継続する人も増えない。
それは・・・
毎日毎時間毎分毎秒、
自分が何かを選択して生きているって・・・
思ってないからだと
私は思ってしまいます。
私は今やるか?やらないか?
試されてるとか思うタイプですから。
多分・・・
普通は「やらなくていいや〜」とか、
「めんどくさいな〜」って
思うだけでしょうか??
「今これをやらなかったら、
自分は行動しない大多数になる。
でも・・・
ここで・・・
やることを選んだら、
世の中の仕事できる数%の人と
同じ成長するのではないか?」とか・・・
毎回自分の行動の起点で考えていると、
「やらない」ことの損失を
肌で感じるようになっていきます。
結局のところ、
アクションして
継続する人が得し続ける世の中だと思うのです。
どうして?
やらない人々は、
人に書籍を勧められたら?
すぐに買わないのでしょう?
Amazonでポチれる人は100人に1人。
それを読んでアウトプットできるのは
本を買った100人に1人。
学んだことを行動に移せるのは100人に1人。
私なら、
圧倒的に99人より1人の方になりたいです。
何が言いたいかというと、
生きてると常に選択を迫られるわけです。
やるか、やらないか。
ちょっと疲れてるけど、
頑張って少しでも勉強するか、しないか。
人に勧められた本を読むか、読まないか。
インプットした知識をアウトプットするか、しないか。
アドバイスされたことを実行するか、しないか。
分からないことを聞くか、聞かないか。
チャンスに手をあげるか、あげないか。
小さな選択を積み重ねて生きてる中で、
その小さなひとつひとつに、
「やる」と思えるかどうかです。
その一つ一つは、
小さくて大したことないことかもしれません。
たったそれだけで・・・
私たちは常に1%に入れるのだと思います。
気づきメールという
振り返りとアウトプットの手段を
自分のものにしてる人と、
そうでない人とは、
歴然と差が出てくるのです。
行動して自分のものにして成長していく人もいます。
強制されるわけでもなく、
実行できる人がいます。
どんどん差がついていくものなのです。
「めんどくさい」とか「やりたくない」、
「眠い」とか「ダルい」って
気持ちは強いものです。
でも・・・
その気持に流されて
生きていて良かったって思ったこと・・・
私にはないのです。
根性論とか、
夢を語るのとか、
熱い話することもありますが、
そういうことを伝えていくのは、
あまり好きじゃないのですが・・・
結局やらないと損するのは本人だと思います。
せっかく・・・
パール幼稚園という場所で、
私と関わっているのですから
ささやかな毎日に・・・
心を込めること知ってほしいと願うのです。
「成長には準備が必要。
自らを成長させるための準備をすること。」
この準備を怠っていると、
チャンスが目の前にやってきても
チャンスをものにすることができず、
そのチャンスは他の所へ行ってしまうのです。
ドラッカーの理論のひとつです。
ですから、
準備を失敗することは、
失敗を準備するだと思っています。
計画と準備の違い?
概念の問題かもしれませんが、
計画とは・・・
どのような定義で、
準備とは・・・
どのような定義として捉えていますか?
当然、日本語なので意味はあります。
計画・・・ある事を行うために、
あらかじめ方法や順序などを考えること。
その考えの内容。
もくろみ。プラン。
(デジタル大辞泉)
準備=物事をする前に、
あらかじめ必要なものを
そろえたり態勢を
整えたりして用意をすること。
(デジタル大辞泉)
GPDRサイクルといった・・・
フレームワークがあります。
そこでも計画と準備は
分けて考えるように定義されています。
G = Goal Creation(目標設定)
P = Preview(準備・計画)
D = Decision Making(意思決定)
R = Review(振り返り)
よく似たサイクルで
PDCAサイクルがありますが、
ここでのPはPlanの計画です。
このプランと同じくらい
大事なのが準備だと思うのです。
準備は英語で言うとPreparation。
最高の準備ができた!と思った時、
この準備の定義はなんでしょう?
最高の計画を立てた!
これはざっくり言うと、
準備の一つとして計画を
立てたということもできます。
コーチングにおいては、
プラン・プランニングという言葉をよく使います。
スポーツの世界で例えると、
ゲームプラン。
こんなように試合を運んで勝利しようという計画です。
もちろんプランを立てても
絵に描いた餅になってしまっては意味がないので、
これは実際に遂行可能なものであるべきです。
つまり計画(プラン)とは、
ゴールに向けた理想のプロセスを
可視化させることが必要なのでしょう。
さぁ・・・
11月30日まで計画の正味21日間のという時間。
それぞれが可視化させることを試みて欲しいものです。
準備は4月からの積み重ねてきたハズ。
Pearl 0-2 MaMa Gartenも
登録者も100名近くになりましたが、
まだ、まだ認知度は低いものだなと感じています。
どこの園も手を出せない領域ですから、
仕方がないかもしれません。
パール幼稚園は「子育て(ママの)応援」もしています。
MaMa Gartenを開設して、
乳幼児の姿を目にすることが多くなりました。
そのような姿を目にしていて、
やはり!子どもってすごい!と思うわけです。
誰もが同じ人間として生まれてきて、
本当にこんなに学習し、
成長しまくっていた時期があったのか!
と疑いたくなるのです。
子どもを見ていると、
自分もこうやって成長したなら、
まだ、まだ、大きなことを成し遂げ、
成長ができるのではないかと思ったりします。笑
人工芝をハイハイしているのに、
ベンチに登ってみようとしたり、
自分の気持や意思を
なんとか伝えようと試してみたり、
近くにあるものは
何でも手にとって眺めて口に入れてみたり、
そんな姿を目にして「まだできないよ」と
言いそうになる自分にうんざりすることもあります。
「できない」と思ってもいないから、
子どもはしばらく経って本当にできるようになってます。
数ヶ月も立てば、
歩いて・・・
走って・・・
よじ登って・・・
言葉を喋って・・・
話をして・・・
道具の使い方を覚えています。
赤ちゃんに学ぶ成長する人しない人として、
「できない理由を探さない」というのは
生きる上でとても大事なことだと思います。
例えば・・・
同じ経験をしても成長する人としない人がいます。
頭の切れる人は、
経験からの学習能力が凄まじいと感じます。
成長する人としない人では、
同じ経験をしたとしても、
そこから学べる情報に差があるのでしょう。
疑問力と想像力と好奇心
この3つの差だと思うのです。
この3つは相互に作用しあっていて、
それぞれが独立した別のものというよりは、
どれかがどれかを生んで、
そのどれかがまた何かを生んでるイメージです。
乳幼児期から幼児期においても、
子どもたちは無意識のうちに、
この3つが相互しながら、
自らを成長に導いているシーンには
感動することばかりです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最年少クラスの
入園受付前の事前面接がはじまりました。
30代前後の若い世代のご両親が面接資料などにも、
『どんな環境で過ごすことがいかに大切かと感じた』
との記載もあり、
入園説明会にご参加いただき、
私の話しを
真剣に受け入れていただけたことが伺える時間でした。
このような保護者の方々の想いに触れると、
私にとっての入園面接は、
よし!やるぞ!と
身が引き締まる時間でもあるのです。
今年は私が園庭をかけ回っていた頃、
岡本先生が新人の頃でしょうか?
送り出した卒園児たちが、
父として、母として我が子をと
パール幼稚園の門を叩いてくるようになりました。
時の流れも感じ、
これも、また、嬉しい時間でした。
いい先生になってきたなー。
ここから?
どう伸ばすかなー??
こうゆーことを考えるのも、
園長業の楽しみのひとつ。
美意識。
そこには人が世界を評価し理解する基準がある。
美意識とは・・・
私たちが物事を美しいと感じる能力であり、
その基準は文化や時代、
個々の価値観によって大きく変わるもの。
科学的には・・・
美に対する認識は脳内の
特定の部位が活動することによって生まれ、
前頭葉や側頭葉が関与しているという。
これらの部位は思考や感情、
意識などの高次脳機能に深く関わっていて、
脳内で美の認識が形成される場所だという。
美意識は・・・
科学的な観点から見ても、
文化や個人の価値観から見ても、
非常に複雑で深遠なものなのだろう。
パール幼稚園にとっての「いい先生」とは、
これも美意識の表現のひとつ。
美意識とは・・・
その時代の文化や社会状況とか、
技術の進歩などによって大きく影響を受けるもの。
歴史から考察しても時代によって、
様々な美意識も異なってくる。
もちろん・・・
パール幼稚園にとっての「いい先生」という美意識も、
根本的な軸は不変ではあるが、
異なってきている部分もある。
ということは・・・
美徳とする部分も変化してきているのであろう。
挨拶ひとつとっても、
体育会系の元気で明るい大きな声の挨拶を美徳とするか、
おしとやかな気品漂う挨拶を美徳とするか。
それぞれだが・・・
美意識は時代背景や
時の流れで変わることも確かなこと。
年中児たちは、
だんだんと自分の思いが
整理できるようになってきて、
思いを
言葉にできるようになってきました。
今が育ちの時期です。
この仕事をしていて一番に面白いことは、
園児たちの姿を眺めていて、
何でこんな行動をするのだろう?
何でこうやっちゃうんだろ??
と・・・
その子の気持ちになって
考察することが面白いもの。
そのような中でも、
悔しさから移す行動が興味をひく。
さて・・・
悔しさを感じること・・・
悔しさは人の成長において重要な要素であると思う。
それは成功への道のりにおいても
避けては通れない感情と言えると思うのです。
私も一丁前に経験を通じて、
この感情の価値は理解しているつもりだ。
悔しさは、
失敗と向き合い、
それを乗り越える力を与えてくれるものであるのだが、
幼いうちに悔しさを感じるからこそ、
目標に向かってさらなる努力を惜しまなくなる。
この過程で学ぶことが多いということだ。
誰でも人は失敗を恐れると思うが、
失敗することで初めて悔しさを感じることもできるもの。
悔しさは、
今の自分になにが足りないのか、
なにを改善するべきかを示してくれるもの。
私も何度も失敗を経験しているので、
それが現在の礎となっていることは確かなこと。
けれども・・・
失敗から学ぶことは簡単なことではないことも理解できる。
悔しさを受け入れて、
それから学ぶことで人は成長するものだと思う。
悔しさは努力の源泉であって、
それが最終的には成功に繋がると信じている。
ありきたりな言い回しになるが、
悔しさをバネにしてさらに努力し、
さらに高い目標を目指すことで、
人は自分自身を超えることができる。
所謂・・・自分の可能性を広げていくもの。
悔しさを感じ、
それを乗り越えることで得られる、
成長や成功について考えていけば、
具体的な方法に繋がる。
悔しさを受け入れることは、
自分の欠点や失敗を認識し
自分に向き合う第一歩となる。
悔しさを受け入れることで、
成長の機会を見つけることができる。
失敗は学びの機会であり、
悔しさはその学びを深化させる。
悔しさを感じることで、
人は何が改善されるべきかを理解し、
新たなスキルや知識を獲得する動機を得るものだが、
今の若者は、
これを理解している人と理解できない人に二極化している。
悔しさは困難な状況を乗り越え、
目標を達成するための重要な動機となるもの。
悔しさを受け入れ、
それから学び、
努力を続けることで成長する。
悔しさと成長の関係性を理解することができれば、
それを活用する方法をさらに学ぶこともできる。
文部科学省の幼児教育課長のお話をお聞きし、
10年後に向かって
前途多難は覚悟であるが、
夢物語の続き
所謂・・・
理想の延長が描けると確信。
無いものつくる!の精神で挑みます。
何のためにがキーワード。
色々とネタが満載な話の中でしたが、
ICTを活用した教育の見える化・・・
ということも主張されていた。
よくよく聞いてみると・・・
ウチでは、
そんなの10年以上前からやってるよ!
ということ。
毎週、毎週、
クラスごとに配信している
インデックスと題したポートフォリオ。
これは園の大切な成果物の記録なのです。
保護者の方々に園での様子をお伝えし、
共有していただくことも目的ですが、
実はコレは、
もっと大きな目的があるのです・・・
担任の大切な振り返りの資料となり、
幼稚園教諭としての力量を高めるために
重要な資料となるのです。
もちろん・・・
作成していくには
手間もかかり時間もかかります。
担任の先生方は大変といえば大変ですが、
幼稚園教諭として
レベルアップするために必要なこと。
教育実践を展開していくためには、
振り返ることは重要。
振り返るから繋がる。
振り返ることによってこそ、
予見ができるものなのです。
写真を活用するので
日常に余裕がなければ、
写真も集めていくことができない。
クラスの様子や遊びの展開や園児の心情を考察する。
これらは大切な研究資料となり、
育ちの理解を深める大切なものなのです。
保護者に伝えるという点だけで
ノルマ的に取り組んでいる先生も
いそうな感じもしますが・・・
自分自身の教育実践や
クラス運営の研究のひとつであることも
再認識して欲しい。
何のために取り組んでいるかという理解で
その先は変わるもの。