パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】夢と希望を与える存在と・・・
これからの時代には・・・
子どもには「考える力」が
必要だという言葉を
よく耳にするようになりました。
そもそも「考える力」とはどういうものなのか。
「考える力」というものは、
人によって定義はばらばらだと思います。
大学入試改革に伴っていわれている「考える力」とは、
「自分なりの価値観を明確にして
社会との関係づくりをしていける力」であり、
簡単に表現すれば
自己決定力のことだと思っています。
私が考えるには、
これを「考える力」と呼ぶのは違うように感じています。
私が定義する「考える力」とは何であるか・・・。
事象を正確にとらえて分析して課題を設定する。
情報など自分が使える
あらゆるものを組み合わせることで
なんらかの変化を生み出していく。
その一連のプロセスを進めていける力こそが、
「考える力」なのだと思っています。
お伝えしておきたいのは、
「考える」と「悩む」は
まったく別のものだということ。
何かを目の前にして「うーん」と
止まってしまう。
これは、「考える」ではなく、
ただ悩んで苦しんでいるだけです。
なぜ?そこで悩んで苦しむかというと、
先に述べた一連のプロセスを経ていないから。
何が課題なのかを見つけようとしないままであり、
「答えらしきもの」が浮かんでくることを求めているだけ。
だから・・・
考えても解決しないのです。
物事を明確にすることには、
今、何が起きているのかを見ること、
情報を収集すること、
時系列に並べ直す、
重要度を整理するといったファクターがある。
そして・・・
そういうものを割りつけていきながら、
物事を分解しまとめていく必要があります。
つまり、「考える」とは「技術」だとも思うのです。
この考えるという技術。
幼稚園教諭という特殊な世界に身を置く方には、
必要とされる能力なのです。
今の若い世代を見ていて思うこと・・・
自信がある人と自信がない人では、
仕事の成功や良好な人との関係など
人生のあらゆる面において、
手に入れられるものに
大きな差が生じてしまうことを知らない。
わたくし自身も、
あのとき自信をもって行動していれば・・・
違う結果になったかも??
などの後悔していることも多くあります。
そして・・・
ここでいう自信とは・・・
結果=自信ということ。
できてるつもりになっている自己陶酔ではない。
まず・・・
「自信のある人」は大きな目標に立ち向かえるもの。
これを子どもに置き換えてみると、
「自信がある子」と耳にすれば、
自慢ばかりする子とか、
ほかの子どもを見下す子など、
マイナスなイメージをもつ人もいるかもしれません。
でもね・・・
いまの時代における「自信」とは、
自己肯定感と同じくらい重視すべきことだと考えています。
子どもがもつ「自信」とは?
どのようなものなのか?
「自分は何でもできる!」といった、
うぬぼれ的なものではなく、
やる前から無理だと諦めずに、
何事も失敗を恐れず取り組む力こそが
正しい自信だと思っています。
正しい自信をもつ子どもは、
成功と失敗を繰り返しながら、
こうやったらもっとうまくできるようになるのかな?
もっと効率的にできるようになるのかな?
と考えながら行動しています。
自分を研究しているのです。
ですから・・・
自信の有る、無しは、
子どもの幸せと目標の達成を
左右するものでもあると考えるのです。
自信のある人は、
自分の能力全般を信頼しているので、
大きな目標に立ち向かうことができるのでしょう。
そして何よりも失敗しても立ち直れると信じている。
失敗してももう一度チャレンジするか、
失敗してしまうことを恐れて諦めるか。
どちらがより飛躍できるかは明らかです。
必要なことは、
困難にぶつかった時にも怯まない気持ちや、
折れない心、
諦めない心、
所謂・・・心持ちが、
自分が本来もっている、
無理に引き出さずとも出てくる力に対する、
セルフリスペクトから生まれる。
そしてそのようなセルフリスペクトは、
幼少時より自分で失敗し、
自分なりに考えて克服した経験を積み重ねてこそ培ものかと。
人生は自分自身が、
どんな自分をデザインしていくかにかかっています。
そういう意味では学歴も関係なく、
家柄でもなく、
幼少期の育てられた環境でもありません。
なぜなら誰もが大人になれば、
自分自身の今日を自分で演出して生きられると考えます。
ただ・・・
人は昨日までと変わらない自分を、
楽なので演じてしまいます。
そして性格は変わらないと頑なに信じています。
誰もが!
新しい自分も!
新しい今日も!
新たに作ることができるハズなのですが・・・
性格とは・・・
その人の視点、考え方の癖、
言動、立ち居振る舞いなどを見て、
周囲が・・・
あの人は
こういう人だからと印象から決定づけたものです。
その誰かに「ラベル」を貼られた自分を、
だと自己暗示で信じてしまっているだけです。
であるならば、
ステキな佇まいの人の言葉のチョイス、
視点の違いや表情を取り入れた方が良いのです。
こんな話をすると「それは他人軸では?」と思う人がいますが、
自分軸とは頑固に自分を守り、
自分のやり方にこだわることではないのです。
それは我執な人です。
成長するとは、
自分を新たにデザインして
他人に対しても居心地よい人間に変化し続けることです。
なぜ?他人との居心地にこだわるか・・・
それは・・・
人は誰かのサポートなしでは生きてはいけないからです。
自分を持っている人は、
人と共存しながらも、
自分の周囲の誰かが自分軸で生きることも応援できる人なのです。
https://www.tiktok.com/@karya_animasikreatif/video/7370285345155403026?lang=ja-JP&q=%E3%83%81%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9&t=1721276546107
多くの保護者の方々にご協力をいただき、
FESTAを開催することができました。
それでも会場からは注意を受けます。
(まったくね・・・)
大田区総合体育館の建設か決まった時から、
運動会のプログラムを5年かけて、
運動会からFESTAと位置付ける行事にするために、
プログラムを構築し10年ほど。
また、また、コロナを通うじて、
再構築して5年が経ちました。
今となっては、
これが当然のように捉えていただいておりますが、
年々歳々・・・
進化していきたいとは心がけています。
FESTAに必要なことは会場の一体感。
今年は園側の盛り上げ方がイマイチでした。
反省を覚えます。
チキンダンスも私の意図として描いていたものとは、
ほど遠く・・・
どこかで何かが違ってしまった。
チキンダンスだけでなく、
魅せるもの全般であり、
わかっているつもりの先生が多いということだ。
会話の量が決めてとなっていることは間違いない。
どうにかせねば・・・