パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】美しい誤解
UTABUTAIにおいては
美しい誤解の重要性が求められます。
UTABUTAIという行事が語るビジョンについても、
ビジョンは明確でなければならない。
誰が読んでも同じ意味に解釈できるよう、
言葉を尽くして定義すべきだ・・・と考えます。
定義され、隙間のないビジョンは、
ときに人の心を動かしません。
そのようなビジョンは確かに正確に伝わるかもしれませんが、
そこから何か豊なものが生まれることはないのです。
正確な言葉というのは貧しいのです。
なぜなら・・・
そのようなビジョンには、
受け手が自分自身の物語を重ねる余地がないからです。
UTABUTAI・・・
それは異なる解釈が共存する状態をつくっているのです。
その異なる解釈が、
ひとつの方向にゆるやかに束ねられるとき、
組織には強い求心力が生まれます。
行事においての私の役割とは、
正しいビジョンを配布することではなく、
ビジョンがそれぞれの心の中で育っていく
土壌を整えることだと考えています。
すべてを説明し尽くさないこと。
言い切りすぎないこと。
意味を閉じすぎないこと。
その「余白」こそが、
人に想像する自由を与えるものだとも考えています。
正解を提示するよりも、
正解を道き出すように指導します。
正しく理解される言葉よりも、
美しい誤解を生み出す言葉。
完全に共有された正確なビジョンよりも、
それぞれの内側で増殖していくビジョン。
正しさの管理者ではなく、
解釈が生まれ続ける場の編集者なのかも知れません。
ここで課題となることは、
私が豊かなイメージを喚起する言葉を扱えるか、
どうかということです・・・笑
論理の言葉は意味を一つに収束させますが、
イメージの言葉は意味を拡散させます。
意味が一つに定まらない状態こそが、
美しい誤解の温床になります。
詩や文学の言葉というものは、
原理的に曖昧です。
比喩があり、
象徴があり、
行間があります。
だからこそ、
その言葉に自分の経験や感情を重ね合わせることができます。
同じ作品を読んでも、
受け取り方が人によってまったく異なるのは、
そのためなのでしょう。
余白を残す言葉を選ぶこと・・・
言葉を尽くして正しいビジョンを共有するよりも、
受け手それぞれの文脈に応じて、
豊かに広がっていくビジョンのほうが、
結果として人の求心力を生みます。
ビジョンが理解されることで組織が動くのではありません。
ビジョンが想像されることで、
人は動くのです。
だから感性を磨くことが求められるのです。





