パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】どうでもいい話シリーズ
ラテン語で・・・
《Cogito ergo sum》
哲学者デカルトの言葉です。
『我思う、ゆえに我あり』
ということですが・・・
哲学における「疑いようのない真実」
を見つけようとしました。
そのために・・・
まず周囲のあらゆるものや、
自らの肉体さえも疑って考えましたが、
どうしても疑うことのできないのは
「今全てを疑っている自意識」の存在。
「全てを疑っている私の自意識は
確かに存在している」
それが「我思う、ゆえに我あり」なのです。
デカルトが哲学者として生涯をかけたのが
「真実の発見」です。
デカルトは・・・
どのようにして
「真実」
に辿りついたのでしょう。
「疑いきれないものを見つけ出せば
それって真実なのでは?」
なぜなら「真実」というのは、
「普遍的」なものだからです。
つまり全部を疑って、
疑えないもの・・・
普遍的な真実だという
繋がりで考えたのです。
「あれ?今、疑いまくってるけれど、
この疑っている思考自体は、
疑えないもの。」
ということです。
「我思う、故に我あり」
この視点から園長は孤独である・・・
ということを考えてみると
最終決定は自分一人に
委ねられるから孤独である。
園長の仕事は意思決定することです。
園長の役割とは、
ひとことで言えば
「決定を下す人」
でしょう。
凡庸な園長は、
危険を理由にして
決断を避けようとします。
すなわち、
人の意見を聞くなどという、
一見すると民主的なことをしがちなのです。
将来への可能性は、
それが革新的であればあるほど
危険も大きいもの。
危険を伴わない決定など、
園の将来に大した影響のない
次元の低い決定なのです。
つまり・・・
一人で、
園の未来を左右する決断を下す。
その孤独に
園長は向き合わねばならないのです。
腹を割って話すことができないから
孤独である。
他の園の園長先生は、
自園の先生方に
腹を割って話すことが
できているでしょうか。
ほとんどの園長はできないのでは
ないのでしょうか。
そんな時に
「本音で話せる相手がいたらな・・・」
と思い、
園長の多くは孤独を感じるのだと思います。
この時期・・・
全てが同時進行で動きます。
クラス編成と同時考える人事配置。
人事配置と同時に考える人件費配分。
人件費配分と同時に考える来年度予算。
予算からの同時に考える中期計画。
中期計画から同時に考える短期計画。
来年度の方針計画。
などなど・・・
色々な情報が欲しい時に情報がない事実。
園長は孤独であると思う故の園長なり・・・
どうでもいい話でした。