パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】終わりのないはじまり
ご覧の写真は10年くらい前の就職説明会の様子デス。
多分・・・
この中には育児休業中の長◯◯◯子先生もいるハズ。笑
今ではこんなことをやっても・・・
全く人が集まらない自信がありますっ!!
満々!!
就職もスマホで人任せ、
退職も退職代で人任せ。
保育所の就職の実態です。
採用紹介業者から採用すると年収の40%。
利用する人は自分商品とされていることも知らない。
数社紹介されて自分が気に入っても、
紹介手数料の利率のいいところを紹介されるオチ。
アフターフォローという名の元に、
数ヶ月後・・・
今の職場はいかがでしょう?と連絡が来て、
誘導尋問のように不満を聞き出し、
実は・・・
それなら・・・
あなたにもっとピッタリな職場がと・・・
転職を進め、
再度、紹介手数料が業者に入る仕組み。
ちなみに紹介業者の担当者も派遣という始末。
古代ギリシャの哲学者であるソクラテスが説いたことで
自分を知ってよりよく生きるということがあります。
ソクラテスは自身では著作を残さず、
弟子のプラトンによって思想が伝えられ
古代ギリシア最大の哲学者であると
いわれていることでも知られています。
ソクラテスの考えのひとつに
「無知の知」ということがあります。
「無知の知」とは、
自分が何も知らないことを知ることではありません。
人は誰しも、
多少の知識はあるはずでして、
私は無知です!という人がいれば、
相当なへそ曲がりか嘘つきだと思います。
ソクラテスは、
「無知の知」と「自分を知ること」をひとくくりとし、
自分を知っている人は
自分が無知だと知っていると考えました。
では・・・
私たちは「無知の地」をどう理解すればいいのか。
解釈には二つあるように考えます。
一つは、
いかなる知識であろうと、
それが必ず正しと確認することは出来ない。
二つ目は、
自分の無知を見出すことこそが、
本当に無知を自覚することだというものです。
ここでいう「無知」とは、
ある分野については無知だと自覚するという意味です。
こ
このように捉えると、
誰もが「無知の知」という知恵を
持っているように聞こえますが、
そうとは言えません。
この分野については、
自分はよく知っているつもりだったけど、
そうではなかったと思うことが
よくあるのではないでしょうか。
ある分野について、
自分には知らない事柄があるということを
見出す能力を備えていれば、
ここでいう「無知の知」を手に入れることが出来ます。
思考力が足りないほど、
自分は思考力が高いと勘違いしがちということ。
自分が何かを知っていることに気付くのは簡単ですが、
自分の知らない何かに気付くことは簡単ではありません。
知らないということは、
何も見えないのと同じですから、
知らなくて当然なのです。
自分の無知を省みる力がなければ、
自分の無知を発見することは出来ません。
故に得難い「無知の知」は、
思考力が足りない場合の「無知の知」です。
また、
自分の内面について分かっているつもりで、
わかっていないということ。
自分の無知を自覚することは非常に困難です。
しかし・・・
他者を観察することで
「無知の知」が欠如した状況に気付くことがあります。
自分の発言や行動、
さらに感情的な反応の数々について、
どうして?
そのようになったのか、
分かっているつもりでも、
分かっていないことが多々あります。
「無知の知」で・・・
視野が広がったり、新しい自分と出逢えるもの。
「無知の知」を獲得する前の私たちの知識は、
視野の範囲と同じで、
見えることだけ、
自分の知っている世界しか見ることが出来ません。
視野の外側には暗闇が広がるばかりですが、
「無知の知」とは、
未知への探求心と学習意欲を助け
視野を頼りに難関を次々と超えさせてくれるでしょう。
新しい知恵が増えることは
人生に喜びがひとつ加わることでもあります。
そうして視野が広がると、
私たちは自分だけの「無知の知」を追い求めるようになり、
新しい自分との出逢いを
追い求めずにはいられなくなります。
それは・・・
終わりのないはじまりのようにも思います。