2021/06/18

パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】気持ちの言語化


 

この時期の園庭のこの場所は、


そよ風の通り道となり、


心地がよいものです。


さて・・・


本日の給食はミートソース!


きっと面白いハズだ!!と意気込んで


カメラを片手にART脳が


キュルキュルとと思いきや・・・


撃沈・・・。


みんな・・・


なんて!お上品なことでしょう。笑















さて!


このようなことがありませんか?


自分の気持ちって・・・?


よくわからなくなること。


自分の気持ちを上手に表現できれば、


楽になるが、


言葉にするのは難しい。


気持ちはというものは感覚。


だから、


ピッタリの


言葉がなかなか見つからないからである。


だから・・・


仕方がない。


強烈な不安に襲われる時には、


何かにハマることが多いもの。


急に同じ本を繰り返し読んだり、


映画評論家になってみたり、


芸術とかにも興味が湧いてくる。笑


自分の気持ちにピッタリの表現を探し、


自分の気持ちを確かめたいからかもしれない。


そんなふうに・・・


強烈な不安に襲われた時は、


自分の気持ちを確かめるために、


言葉の模索する旅に出かける。


仕方なく自分の気持ちを


自分の言葉で表現するのでなく、


素直な自分の言葉がスッキリするもの。


それが必要だと思うのです。


それは・・・


誰かを助けるためでも、


誰かを喜ばせるためではない。


自分を救うために


やらねばならないこと。


自分の気持ちを言語化して、


言葉にすると、


自分自身への理解が


深まってゆくことに気づくもの。


自分の気持ちを、


ないがしろにして生きることはダメ。


そんな自分自身に気づいてくる。


「誰かに理解して欲しい」


湧いてくる思いは、


自らの魂からの自分自身への


メッセージだったことに気づくもの。


自分の気持ちを言語化する


自分の人生も言語化することだろう。


「あの時なぜあのようなことが起きたのか」


自らの人生における七不思議を、


自らの言葉で解説できるようになのだろう。


思い通りにいかなくって、


だだこねて、


泣き喚いて、


地団駄踏んで、


そんな子どもの心境と同じことだろう。