パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】努力の方向
最年少クラスの園児たち・・・
グー〜ーんと伸びています。
導き方が要デス。
ということは・・・
導き方の工夫も重要です。
4年教育活動の効果が
目に見えるカタチとなっています。
努力には「量」と「方向」があると考えています。
それでも成果は約束されないのが努力の本質。
世の中努力量の話はよく出てくると思うのですが、
私は努力には「量」と「方向」があると思っています。
努力で成果が約束されることは有りませんが、
努力なしに得られるものなどは・・・
たかが知れています。
なにかしら欲しい物があるか、
避けたい状況があるなら努力すべきだし、
その結果望んだ成果とは違う形であったとしても
自分を裏切ることにはならないからです。
ただし・・・
努力には「量」と「方向」が存在していて、
ここを間違えると努力の意味がなくなりかねないのです。
努力しても何もできるようにならないとか、
努力しても意味がないとか・・・
このようなことを言っている人は、
次の2つのどちらかの考え方がかけているように思えます。
まず!努力の方向
暖かい南の島!沖縄へ行きたい!と思っていたとします。
進むべき方向は南なのですが・・・
北に進んでしまえば、
たどり着く先は北海道。
(あっl東京にいたとしてデズ)
津軽海峡あたりで
「あれ?」と思った頃には時既に遅しなのです。
沖縄に行きたいのなら北には進まない、
当たり前のような話ですが、
この当たり前が仕事になった途端わからなくなるのが人間です。
例えば・・・
この話上から見た日本の地図を知っているからであり、
全体像が見えているからです。
でも・・・
仕事の中で目標までの全体像が明確に見えることはありません。
これが道のりまで明確に見えてれば迷うことも、
不安に思うこともないと思うのです。
ただ歩いてて、
道に迷うレベルであれば、
地図が有り、
スマホがあり、カーナビがあるこの時代に、
目的地につかないことなどはありません。
でも・・・
仕事やプライベート、
人生の目指すべき場所にむかう中に、
カーナビはついてません。
地図も道路標識もないわけです。
だから「あれ?」って・・・
不安になったりするものなのです。
努力の方向というものは、
それぐらい把握が難しいものだと考えています。
では・・・
努力の方向」が合っているのか、
どのようにしたらわかるのかというと、
それは簡単。
自分より全体像が見えてる人に
修正してもらうしか無いのです。
見たこともない道の全体像(上から見た地図)は、
自分にはわからないので、
同じ道をたどってきた経験者や、
視座が自分より高く把握領域を持つ人と
話をして修正することが近道。
巨大迷路という感覚です。
自分が迷路の中にいたら、
どこをどう行けば出口にたどり着くか見えません。
これ上から見てる人には明確なわけです。
そういった人の話を聞く素直さと、
努力の方向について考える認識があるかどうかは、
成果を求めるなら重要な条件なのです。
この方向の話をするときに大事な前提として、
現在地を把握すること
目的地を明確にすること
の2つがありますが・・・
盲点となるのが 現在地を把握することなのです。
現代では道に迷う人が減ったのは、
カーナビやスマホなので
現在地の把握が的確にできるからです。
先程の沖縄に行く話も、
そもそも・・・
前提として東京にいるということが
わかっているからであり、
これがアフリカとかアマゾンとかにいたら
話が変わってきます。
目標について考えることに多くの時間を費やして、
現在地を認識することが
疎かになっていることが多くあります。
現在地がわからないということは、
何をどう努力すればいいのかが
わからないということです。
例えばです。
成長したいと思ったときにも、
自分の現状の能力を正しく把握できないと、
目的までどの程度努力が必要で、
なんの能力を身につければいいのかということを
計測できないので、
結局成長につながらないことがあります。
方向性を間違える要因として、
現在地が正しく把握できていないことがあるのです。
素直とは知らないことを知ることだと考えています。
視座が自分より高く把握領域を持つ人に
できていないと指摘されたなら、
やってます!とムカッとすることもあるでしょうけれど、
自分の現在地を把握することが大切なのです。
まずは・・・現在地から。