2022/02/14

パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】どうなる??


誰も言わないのです・・・


識者が声をあげるべきだとも思うのですが、


タイミングなのでしょうか。


大人の都合なのか。


これをいってしまうと、


批判もあるかもしれないのですが、


わたくしのみの視点で申し上げることとします。


ボヤキとも捉えていただければと思います。


マスクのままでは子どもが危ないと思っています。


親よりも長い時間を共にする


幼稚園の先生の表情がマスクに隠れたまま、


2年が過ぎようとしています。


日頃より、


マスクをしていても笑顔は忘れるな!


といってはいますが、


うはり隠れていると隠れただけの笑顔となるもの。


さらに・・・


2歳児未満にもマスク云々の声があるが、


疫学的影響以上に・・・


それが・・・


子どもの将来の人格や


コミュニケーションということに、


どれほど悪影響となるかということを考えてしまう。


学校でのリモート授業も・・・


今のような事態であれば次善の策であろう。


しかし・・・


ICT教育が悪乗りして、


小学校をメディアセンターに


してはいけないとも思うのです。


大学の授業なんて、


ICTを活用した教材化しているようにも


思えてしまうこともあるのです。


まるで某放送局の教育テレビを活用とした、


放送教育の研究みたいで魅力は感じない。


まず・・・


学校は集う場所であることを


忘れてはならないと思うのです。


子どもたちは目と目を合わせ、


つながりあわねばならないと思うのです。


6Gになれば・・・


五感さえも代替可能みたいなるようですが、


とても乗る気になれない・・・。

 

本園の言葉のチカラのカリキュラムを監修している


土屋秀宇先生の教え子である、


脳科学者の川島隆太さんは、


オンラインによって、


子どもたちのコミュニケーションのあり方が


大きく変化していると指摘している。


科学的分析をもとに、


「情報は伝達できるが感情は共感していない。


相手と心はつながっていない」


このまま現状が浸透していくと、


「人と関わっているけど、孤独という矛盾」が


起きると警鐘を鳴らしている。


親子のまなざしが人間関係の基本を作るように、


目と目が合って信頼や共感が生まれる。


オンランではカメラを見ない限り、


画面上の視線は微妙にずれている。


見つめあいも・・・


ふれあいもない・・・。


あるのはシグナルの交換ということになる。


その積み重ねが・・・


表情の乏しさや感情の読み取りにくいという、


子どもをつくっていくことにならないのかと思うのです。


マスク越しに懸命に


アイコンタクトを試みる


先生たちの努力を軽んじてはならないもの。


「コロナ世代」で過ごす子どもたち。


ICTの扱いは得意であるが、


コミュニケーションの


苦手な子どもにしてはいけないと思うのです。


UTABUTAIの練習を見ていても思うのです。


マスクに隠された・・・


そのお顔は?


いいお顔なのか?


パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】67回目の創立記念日


2月14日は創立記念日。


玄関には先生方から頂戴したお花が飾られています。


近年・・・


創立記念日だからといって休園でもありませんし、


なかなかピンとこない日でもあり、


「園長センセ〜 
パール幼稚園のお誕生日おめでとうございます。」


と園児たちから声をかけられ、


あっ!そうか!と気づく有様。


記念日ですから、


もっと大切に考えなくてはならないと反省。


1955年1月24日


東京都認可幼稚園として


パール幼稚園は、


創立者 野村孝子先生により設立されました。


そして・・・


1955年2月14日開園。


2022年2月14日で67回目の記念日。


孝子先生が30歳で開園しましたので、


明後日の16日の誕生日で、


存命ならば97歳となるわけです。


そして・・・


1988年4月2日学校法人立幼稚園として


寄附行為をいたしまして現在にいたっております。


色々な苦労話もあったようでして、


様々な話は聞かされておりました。


聞かされている当時は、


ふぅ〜ん??程度だったのですが、


近頃、時折、


その話を思い出すようになり、


よく、よく、考えてみると・・・


ウチのお祖母様のエネルギーには


驚くことばかりです。


「スゲーお祖母様」だったんだ?


と今更ながら思うわけなのです。


想い一つで幼稚園を創ったのですから、


戦後と言えども・・・


多額の借金抱えてまで、


人生をかけたのです。


他界する間際など、


私の顔も認識できませんでしたが、


パール幼稚園!と声をかけると、


「光を浴びて・・・」と


園歌を3番まで全て歌うのです。


人生そのものだったということが説くわかります。


70歳でリタイアし、


それ以来・・・


一度も園には足を踏み入れませんでした。


そこには・・・


どんな想いがあったのかは、


私は憶測することしかできません。


パール幼稚園にお祖母様が残してくれた


最高の贈り物は・・・


「パール」という名前だと思っています。


これが「たぬき」だの「たんぽぽ」だったらと思うと、


何も閃かないしトキメキもしない。


真珠でなくPearl・・・


ハイカラな人だったのでしょう。


「Pearl」だったからこそ・・・


と思うことが多くあります。


創立者 野村孝子先生・・・


「憤」という文字が原動力だったのかもしれません。


恚憤・悁憤・感憤・愾墳・・・


自分の心との格闘は多くあったと思います。


わたくしが取り組もうとしていることも、


意識した訳ではないのですが、


気づけば70周年が目処となりそうです。


こういう数字を追うと面白いものです。


歴史を知らない後継者、


歴史から学べない後継者は


大成しないとも言われていますが、


はい!はい!と聞き流していた、


あの話が大きな学びとなっていることにも


気がつくようになりました。


創立記念日・・・


祖母を想い、


祖母に感謝する日でもあります。


もちろん・・・


支えていただけている皆様にも。


恩送り(オンクリ)・・・


恩をつないで参りたいと考える日でもあります。