2021/11/04

パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】わがままに・・・


今の社会環境は、


子どもを思う存分に遊ばせられないなぁと思うのです。


社会の風潮やクレームの多さが背景にあって、


禁止事項だらけの公園も多いのもです。


子どもは・・・


もっと「聞き分けが悪く」てもいいと思うのです。


やりたいことを存分にやって


学ぶことがあるのです。


他人に迷惑をかけるようなことや


危険なことをやらかしてしまった・・・


さすがにそれは駄目だろうということで


禁止看板ができたのだと思いますが、


いまは誰かがなにかをするまえから


禁止看板が立っているので、


経緯を知らない子どもは


禁止事項に無条件に従っていることの方が


多いように思います。


そのような時代にあっても、


子どもこそ・・・


自分の内から湧き出る欲求というか、


勝手に体が動いてしまうようなことを


もっと大事にしていいと思うのです。


もちろん・・・


大きな事故につながるような


危険は避けなければなりませんが、


子どもなら子どもらしく、


もっと「聞き分けが悪く」なっても


いいのに・・・と思いますね。


聞き分けが悪くなるというのは、


ある意味では自立の証です。


子どもが大人に向かって


正しく成長する過程では


必ず反抗期を迎えます。


それは、親に守られながらも、


その大きな存在から離れ、


自分の人生を


歩みだそうとしていることの表れなのです。


失敗した経験が「折れない心」を育てるものです。


トラブルから


子どもが学べることもたくさんあるのです。


禁止事項を


素直に子どもたちが守っていることには、


もちろん、


大人の姿勢も大きくかかわっているのでしょう。


今は子どもにとって危険だからとか、


倫理的に許されないことだからということ以上に、


トラブルを招いてしまいそうだからという理由で


子どもたちの先回りをしてしまうことが


多いように感じます。


例えば・・・


幼い子どもたちが水で遊ぶとき、


お友だちに水をかけちゃ駄目。


誰もいない方向に向けてやりなさい。


という声が聞こえてくることもあります。


オイオイ・・・と思うのです。


それで何が楽しんだ?


本来であれば、


友だちと水を掛け合うことが


最大の楽しみでもある水遊びですが、


大人同士の関係が緊張しているほど、


それが子ども同士の遊びにも


大きく影響してしまうのです。


なにかの理由があって


濡れたくないという


子どももいるかもしれません。


でも・・・


少し乱暴ないい方かもしれませんが、


それはやってみて相手が嫌がって、


はじめて本当の意味でわかることでもある。


そういう実感があって、


「悪いことをしちゃった」


「気をつけなきゃ」


「謝ろう」と心から思うものであるはずです。


一方・・・


濡れたくないのに


水をかけられてしまった子どもにとっても、


「嫌だ!」と主張できる機会は


とても大事なもの。


最初からその可能性を取り除いてしまうと、


自分の心の底から嫌だと思う


チャンスがなくなってしまいます。


そう思えたのなら、


自分が嫌だと思ったことを、


キチンと表現して的確に相手に伝える、


あるいは嫌だと思った心を


コントロールするということも学べるでしょう。


そういうことも成長過程においては


重要だと思うのです。


遊びというものは・・・


それぞれの「やりたい!」という


気持ちが本心から出るところです。


それらがぶつかってトラブルを


招くこともあるでしょう。


でも・・・


そのトラブルがあるからこそ、


たくさんのことを自然に学び、


育っていくのです。


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