パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】心の中の旗
フリーの先生からLINEが届いた。
街中で目に留まった風景の写真が添付されている。
在園児のおじいちゃまか
おばあちゃまであろうお店の店主さん。
憶測であるけれども、
日々、感じていることを
お店のメッセージとして発信しているのであろう。
とても素敵な試みだと感心した。
目に留めた街ゆく人の心に何かを灯すことに違いない。
もしかしたら?
日々、楽しみにしている人もいるかもしれない。
このメッセージ
きっと・・・
お孫さんの成長の姿を誇らしく思い記したのであろう。
あの場にいらっしゃり、
そう感じていただけたことは、
私としてはとても嬉しいこと。
同時にLINEを届けてくれたフリーの先生の
心遣いも嬉しく思う。
きっと・・・
本人も嬉しかったのであろうが、
その喜びを分かち合おうとしてくれたことも嬉しい。
令和5年度の方針発表会議で掲げたテーマは、
『パール幼稚園の証明』ということ。
この証明というワードには様々なことが含まれる。
その証明こそ・・・
誇り、プライド、自尊心につがなるものだと
考えたからテーマとして掲げた。
残念だが・・・
このテーマを忘れてしまっている先生もいるとも思う。汗っ
近頃・・・誇り、プライド、自尊心というものは、
漫画や映画の中でくらいでしか、
あまり語られない概念かもしれない。
実生活では高飛車や高慢のような扱いで
プライドなんてものは周りを不愉快にさせて
本人を生きづらくさせるだけで
無いほうがいいくらいだと
思われているように思える。
でも・・・
本当の誇りって
「自分は他の人よりも優れている」って、
おごりたかぶることではなく、
「自分を好きでいるために
これだけは大切に守っていきたい」
組織の中では、
「同じ目標に向かって旗を掲げ大切に守っていくこと」
このように心の中に何か一つ
尊敬できる部分を持っておくことだと思っている。
それは・・・
正直であること。
優しくあること。
夢を信じること。
それぞれ自分を好きでいるために
これだけは大切に守っていきたいと
尊い気持ちを持っていること。
ここで書く分には
「そうだねー。大事だね〜」と
擁護されるような眩しい想いは
世間では時に偽善だとか、
綺麗ごとだと思われるかもしれない。
いわゆる理想論的扱いを受ける。
皆、理想と現実の狭間に立たされるから、
できない自分が可愛くなり、
誇りを取り上げて
捨てさせようとする人と
人生のどこかで出会ってしまう。
類は友を呼ぶというもので、
同じような考えの者と惹かれあう。
それはそれで仕方がないことだとも思う。
人は他人の言葉に揺らがないでいられるほど
最初から強いわけじゃない生き物だから。
無信念は無駄なのか?
余計なプライドなのか?
自分の「大切」を疑って
こんなに周りにとやかく言われて
自分を生きにくくするくらいなら
誇りもこだわりも無いほうがいいと・・・
大切に持っていた旗を自ら放り投げてしまう。
でも・・・
大切だったはずの誇りという旗を
捨てたらどうなるかというと、
自分が全く定まらなくなる。
なぜなら・・・
これだけは譲らないという
決めていた軸が倒れるから。
繋ぎとめるものを無くした心は周りに言われるまま
目先の利益に釣られて、
どこまででも動けてしまうもの。
尊敬できる部分を無くした自分を
素晴らしいと称える人からの賛同は
利益を得るためにのみ増えていく利益というものは、
「自分を好きで居るために
これだけは大切に守っていきたい」と
大事に握りしめていた旗よりも
自分を誇らしくしてくれるものなのであろうか。
心の中にある旗は
真っ直ぐに突き立てた一本の軸が
自分を支える誇りになるもの。
このような嬉しい知らせは、
心の中にある旗を掲げる支柱をより太くさせてくれる。
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