パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】耐性
書籍をオーダーしようかと思い
ふと口コミを覗いてみる。
Web上の高評価の口コミが続く中、
「全然意味がわかりません。
もっと分かりやすく書け」と
不満たっぷりの低評価がある。
また・・・
ある著名人が感動したという一冊。
「オススメだからと手に取って見たが、
全然内容がわからない。〇〇にだまされた。
お金を返して欲しい」と書かれている。
ネットには情報があふれ
わかりやすい記事を読むことが当たり前になっているが、
同時に「わかりにくさへの耐性」が
低下しているのではないかと思う。
いつも柔らかいものしか食べていないと、
堅いものには噛めなくなる。
自分の人生を探る探究心よりも、
食べログや書評の他人の評価が
自分の味覚や判断基準になる。
時代は「耐性」が低下している。
わかりやすさや便利さ。
映画を見るにも時短。
決して悪くはないけれど・・・
誰かの家に電話し、
当人に取り継いでもらう瞬間の家族と話す緊張感。
学校の中では怖い熱血教師と
勝手な仲間たちとのなかで身につく社交術。
今の時代では・・・
どれをとってもストレスに該当したものであろう。
それでも知らず知らずに身についた対人関係とストレス耐性。
学生に、
「どうすればいい先生になれますか?」という質問を
学生にされることがしばしばあります。
「あなたはどんな先生がいいだと思いますか?」と
細かいところまで掘り下げないとならなくなる。
幸せに対しても同様。
今が幸せでないという人は、
幸せの「どこか」に向かおうとする。
幸せ=分母は満ち足りる生活であり、
分子はそれが叶うこと。
10億あって満ち足りて幸せならば、
5億が分子であれば半分幸せだし、
8億なら8割の幸せになる。
しかし・・・
この方程式は人には成り立たない。
人は分子が叶って満たされると、
分母の欲望も、
さらに肥大するのが人。
これは幸せという魅力的な果実を目の前にぶら下げて、
永遠に満ち足りない競争に費やすだけのように感じる。
どこかに幸せがあるのではなく、
今の幸せを味わうという
感受性を上げていくことが必要な時代なのであろう。
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