2019/08/03

パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】野村孝子の教え


パール幼稚園は1955年2月より、

この野村孝子先生が30歳の時より、

想いひとつで築き上げてきた幼稚園です。

子どもは国の宝物。

この世に生きるを受けたものは、

みんな祈りの中で生きていきます。

皆が元気で家が繁栄しますように・・・

後の世の人々が幸せでありますように・・・

美しく平和な日本が続きますように・・・

私たち、一人一人が宝物であ流という事実。

手をかけ、目をかけ、磨き上げること。

願いと祈りがあったことでしょう。

この野村孝子先生は、

わたくしの祖母になります。

わたくしは11 人の孫の中でも、

初孫となるので、

随分と特別扱いされてきたと思います。

しかし・・・

パール幼稚園という場所で

一緒に仕事をするようになり、

その関係性は変わり、

継承の道へ向かうために

厳しい指導となったようにも思えます。

祖母と孫での・・・

ある意味・・・特別。

幼稚園改革を提案した時など、

しばらく口も聞いてくれませんでした。

世代交代・・・

バトンタッチにしても苦渋の決断だったことと思います。

創立者ですから・・・

愛してやまないパール幼稚園です。

未練も多くあったことでしょう。

孫といえども簡単には手渡したくなかったことでしょう。

しかし・・・交代したのだからと、

一切口は挟まず。

園にも足を踏み入れなくなり、

現在の先生方でも、

岡本先生、柏熊先生は、

一緒に仕事をしたくらいで、

竹内先生でも、

ギリギリ会話したことあるかでしょう。

野村孝子先生の姿から学んだことは多くありますが、

当たり前の10箇条にもあるように、

「負けません」・・・

これが一番、大きなものかもしれません。

どんなことでも心のありよう。

つまらないことがあっても、

つまらない心のありようで仕事はしてはいけないこと、

つまらない心は明るく直せること。

働いている時に未熟な姿はするものではないということ。

どんな時でも見よくあるべき。

野村孝子先生・・・

祖母は、目に見えずとも、

心の中に懐刀を携得ている日本女性でした。

人に勝より大切なことがある

それは自分に負けないこと。

それが明日を切り開くことだと・・・

その姿から教えられ、思い返すことができます。

令和元年7月25日

大和なでしこのような祖母が、

あの世に旅立ちました。

葬儀に際しましては、

本日、近親者のみで行いましたことお知らせ申し上げます。

享年96歳。

本来であれば、学園葬をもって見送るべきでしょうが、

私には、その力もないもので、

故人に対し、

生前中のご厚誼に厚く御礼申し上げますとともに

このような形でご報告させていただくことを

お詫び申し上げます。


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