パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】想いを込めるということ
形より入り心に至るまで・・・
コレは・・・
新しく仲間に加わる人には大切なことです。
そして・・・
しばらくすれば・・・
形だけでは済まされません。
やはり心に至るということが求められるのです。
想いを込めるということで
解釈してもらっても構いません。
想いを込めて仕事をすることです。
想いを込めること・・・
念を入れるといってもいいかもしれません。
これは出来ているようで、
中々、出来ていない方もいます。
モチベーションが上がらないからとか?
やる気が出ないからとか?
そういう事を言っているレベルでは、
もちろん論外です。
単純にパール幼稚園の先生としては不適合です。
どんな状況であっても、
最善を尽くすことが望ましいもの。
パール幼稚園の先生としての誇りがある人とは、
常に念を入れて仕事をしている人です。
なんとなくの仕事はしないし、
最低限これだけやっておけばいいだろう??
というのような仕事は
パール幼稚園には存在しません。
そういうスタンスの人は、
そもそも・・・
責任と言う事も理解できていないとも思います。
その人の仕事に対するレベルもわかるものです。
するべき仕事、
やるべき仕事に対して、
想いを込める念をことができるのは、
当たり前ですが、
自分自身だけです。
義務や責任を自分に都合よくしか考えられない人、
そういう行動をとる人は、
アウトかな?と思うわけです。
近頃・・・
求人サイトからの応募で面接をしていても
様々なことを感じます。
ゴルゴ松本のように
漢字の授業をするわけではありませんが・・・
念・・・という文字を良く見て下さい。
今の心と書くのです。
念を入れて仕事をするとは、
今、目の前にいる人、
今、目の前にあることに
思いを入れて仕事をする事です。
今、目の前にいる人を大事にする・・・
今、目の前にある事を大事にするということです。
今、目の前にいる人や目の前にある事を、
適当に考えていたり・・・
適当に扱っていたり・・・
どうかと思うのです。
人だけにゆるされている、
人だけが出来る念を入れるということ。
それすら放棄して、
日々仕事をしている、
生きているとしたら?
成長とか・・・
そんなレベルではないと思います。
仕事以前の話ですし、
周りにいる応援してくれている人たちに
とても失礼なことだと思うのです。
こういうことも、
気づいた人の方が、
豊かな人生を送れるというだけです。
今、この瞬間をというと勘違いもありそうですが・・・
大切にしてほしいと思います。
生きたくても・・・
今日と言う日を生きる事が出来なかった人はいます。
ここ数年・・・
関わってきた人たちをあらためて見ていて、
そこから強く感じた事があります。
それが・・・
想いを込めることご縁とご恩です。
恩知らず・・・
恩をあだで返す・・・
恩を忘れた行動をとる。
平気でそういう行動がとれる人・・・
意外にも多いものです。
どんどん自分の運気を下げていることに
気づいてないのでしょう。
ワタクシ自身、
まだまだ未熟だからこそ、
そういう生き方、
そういう後悔はしないようにしようと、
あらためて強く思っています。
パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】褒めすぎ注意。
「ねぇ〜園長先生〜みて!みて!」
できたこと。
できるようになったこと。
嬉しいのでしょう。
ひとつの自慢かもしれません。
よくある光景です。
さて・・・
自慢する子としない子、
その違いとはとはいえ、
自慢話ばかりしている印象がある子がいる一方で、
どんなにいいセンスをもっていても、
またどんなに努力をしていても、
他人にはいっさい自慢することがない子もいます。
その違いはどこから?
誰もが持つ承認欲求だと考えます。
そもそも自慢とは、
他人に認められたい。
高い評価を得たいという気持ちでしょう。
心理学者マズローが定義している
根源的な5つの欲求”のうちひとつ。
誰もが持ち合わせているもだと思います。
しかし・・・
あまりにもこの欲求が強いのは、
どうかとも思ってしまいます。
この欲求が満たされるのは、
家族や仲間などに恵まれているとき。
周りの人たちとの関係性がうまくいっていれば、
わざわざ褒められたり、
認められたりしなくても
満足できるというわけです。
ご家庭での褒め方が
子どもの承認欲求を左右しているのか?
とも思うシーンがあるのです。
子どもに対する親の接し方の工夫も
必要ではないかと思うのです。
褒められることが当たり前の環境にいると、
常に自分を認めて!
何かしたら褒めて!
という気持ちが高まるもだとも思います。
そうなってしまうと、
家庭の外でも褒められないと動かない。
気分が乗らないとすねてしまう・・・
などの言動が目立つようになります。
すると・・・
ちょっとしたことでも大げさに自慢して、
相手に褒めてもらおうと必死になるというわけです。
ですから・・・
日常的に褒められること”に慣れてしまわないように、
何でもかんでも褒めるのではなく、
子どもが本当にがんばったことや
努力したことを褒めるように心がけましょう。
心がけることは褒めるのではなく認める。
褒めるのではなく一緒に喜ぶこと。
褒める行為は母性であり、
認める行為は父性でありますから、
母性を強く出しすぎる落とし穴もあります。
父性の認め方を心がけて欲しいものです。
パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】他責癖
他責癖要注意
すぐに他責にする癖のある人・・・
注意予報発令です。
この癖だけは、
ホントに意識して直していかないと、
どうころんでも、
これからの人生が良い方向には進みません。
あぁ〜っと思う人は、
これは共通しているようにも思えます。
他責にする癖がある人・・・
この考え方を変えない限り、
先生として・・・
どうかな?と思います。
そもそもこの癖がある人は成長していきません。
でも・・・
人で完ぺきな人はいないので、
そうしてしまうコトもあるでしょう。
ただし・・・
本人が事に気づかない場合は必ず失敗します。
ところが・・・
それでも気づいていない人は多くいます。
なぜなのだろうと考えてみると・・・
まさに他責思考の塊だからです。
自分に原因があると思っていないので
気づけないわけです。
そんなことはないと思うかもしれませんが、
こういう人って多いです。
客観的に見ていると、
よくわかるものです。
本当に本人は気づいてないわけです。
世の中が悪い、
アイツが悪い、
組織が悪いなどなど、
自分は悪くないと本当にそう思っているのです。
スリカエの思考の名人だったりもします。
他責癖のある人は、
自分には問題が無いと本当に思っているのだから、
その思い込みが強い強烈で、
ハードルは高いです。
どうにもなりません。
もちろん・・・完璧な人はいません。
ですから、自問自答し、
少しでも自分に問題を感じたら、
自責を感じたら、
素直にそれを表現するところから
スタートとなるでしょう。
簡単に言えば、
都合の悪い時の自分と
どれだけきちんと向き合えるか
と言う事でもあります。
少しずつでも真摯に向き合い、
努力して行かなければ、
他責の癖はなおらないコトです。
それが習慣の力でもあります。
ちなみに・・・
他責の癖がある人は、
冷静に物事を考えられない人が多いです。
事実と感情をすぐに混在させるとか・・・
自分が忙しいのは、
うまくいかないのは、
結果が出ないのは、
主業務以外の仕事を振ってくる周りのせい、
アイツのせい、組織のせい。
それがなかったら・・・
うまくやれたハズだし、
なんで私だけ・・・
そもそも論が飛んで行ってしまうのです。
どうですか?
何となく誰にでも経験があるのではと思います。笑
結局のところ、
素直に聴く耳が持てていない時、
冷静で無い時には、
何を言っても全く無駄であるということです。
しかし・・・
そういう状況を見過ごしてばかりはいられませんね。
もっと考えなければいけないのだと思います。
どう言えば伝わるか、
どんな問いかけがいいのか、
どういう状況の時に話すべきか・・・
大事な事は、
自分自身と真摯に
向き合うことをしてもらうこと。
自分の感情ではなく
事実だけ振り返る時間を
増やすことでしょう。
やらない理由や出来ない理由、
正論のように言うそうですが、
すべて言い訳から始まる人。
他責癖要注意報です。
自分以外に原因を探すことは楽ですが、
恐ろしい事でもあると思います。
鍛錬!が必要。
さて・・・
パール幼稚園の自園給食で使用する器は、
陶磁器のものを使用しています。
もちろん、
落とせば割れます。
なぜ?
陶磁器かと申しますと、
モノを大切に扱って欲しいから。
やはり・・・
年間に結構な数が破損します。
落としてしまった時の
園児の反応もそれぞれです。
他責注意報発令!なんて・・・
園児もいるわけです。
落として割ってしまったことは
責めません。
落とした時のシーン。
落としてしまった後のシーン。
それによっては、
その場では驚いてしまっているので、
その場では注意しませんが、
後に注意を受ける子もいます。
将来・・・
できない理由を探る名人にならないよう
願いを込めまして。
パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】予見すること
パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】宝を磨く
自分の宝を磨くこと。
自分の宝です。
ここでいう宝とは物質的なことではありません。
例えば・・・
物質なものであっても
魂の宿る大切なもののことです。
何があるでしょうか。
どうなりたいかにもよりますが、
今よりも少しでも良い暮らしの時間、
幸せな時間を多くしていきたいのであれば、
既に持っている宝を磨く事です。
その努力すらできないのなら、
これからも自己都合で、自分勝手に、
何となく過ごしていけばいいでしょう・・・笑
当然のことながら、
喜びを得たいのであれば、
厳しい様々な出来事が起こります。
少しでも何とかして行きたいと思うのなら、
やはり自分が持っている宝を磨いていくこと。
特別な人だけが持っているものではなく、
誰もが持っている宝です。
そのひとつが心だと思うのです。
目に見えないけれど、
それはとても大きな宝です。
心を磨くこと・・・
磨く努力は必要です。
心という宝を有効に活用するためには、
考え方を磨いていく必要があります。
考え方を磨いていけば、
心も豊かになってくるものです。
逆に言えば・・・
そのような努力をしていない人は、
ずっと・・・同じ価値観、
自分の都合での考え方しかできないので、
ほとんど進歩せず、
心の成長もほとんどありません。
いくら知識が増えても、
テクニックを学んでも、
考え方が成長していなければ意味がないものかとも。
考え方が成長していなければ、
判断基準はほとんど変わらないからです。
物事に対する考え方、
目の前の出来事に対する考えを磨いていますか。
自分は正しい、
自分が正義、
自分は完ぺきだと思っているなら、
そのまま進んで下さい・・・笑
そうは思っていないといいながらも
そういう行動をとっていれば同じ事です。
潜在的にそう思い込んでいるから、
そういう行動をとり続けられるのです。
しかし・・・
本気でそう思っていないのなら、
素直に聴く耳を持ち、
正しい努力をしていく事です。
自分自身本当はどこかで気づいていて、
少しでも変えなければと思うのであれば、
心の底から素直になる事でしょう。
近頃、改めて感じた事ですが、
物事を短期的に見ている人と
ある程度長期的に見ている人の差です。
人との関係においては、
長期的に考える方がいいですね。
それは顕著に表れると感じています。
その瞬間の感情がすべてと言う傾向がある人、
目の前の損得で判断しやすい人、
俯瞰して見る事が苦手な人、
視野を広くして見る事が苦手な人、
自分の常識に縛られている人、
自分に都合の良い事だけ覚えていて、
過去受けた恩などを平気で忘れる人、
マイナスな感情に引きずられやすい人・・・
一見バラバラのようですが、
このような傾向のある人は、
短期的に考える人の傾向だと思います。
もちろん・・・
すべてにおいて完璧な人なんていませんが、
少しでも気づいたら、
そういう自分を素直に認めて、
少しずつ変えていくことが大事だと思います。
ありふれた言い方ですが、
徳を積むこと。
自分の宝を磨くこと・・・
間違っていたかな?
と思うことがあるのであれば、
素直に戻ってやりなおせばいいのです。
あっ、ここでいう戻ってやり直すということは、
全て無くしてということではなく、
少し過去に戻ってということです。
宝を磨くことには、
この繰り返しかもしれません。
パール幼稚園【ファンが生まれる幼稚園】言葉・・・
園庭では子どもたちの様々な言葉が飛び交います。
気になるなぁと思うこともあるわけでして・・・
現代のマスメディアの影響もあると思っています。
絵本の読み聞かせは、
子どもの心を豊かにし美しい言葉を覚えます。
親の手を煩わせないような・・・
進化を続ける動画などの子ども向け教材もありますが、
やはり・・・
絵本の読み聞かせは最高の教育ツールだと思います。
お母さんに絵本を読んでもらえる時間は、
子どもにとっては、
とても大切な時間だと思います。
絵本の読み聞かせは、
子どもの心を成長さるものです。
絵本というものは、
言葉の世界と
イマジネーションの世界がつながっていくものです。
言葉によってイマジネーションをつくっていく、
あるいは絵で表現されているものを言葉で補っていくもの。
幼い子どもの心中にとっての栄養とあるでしょう。
絵本による共感力は、
子どもの内面にも大きな影響を与えると思っています。
絵本の世界に触れている子どもと
そうではない子どもには、
思いやりと優しさという点で
違いがでるように思います。
現在は弱肉強食とまではいわないまでも、
どこか殺伐としたところがあるものです。
価値観が単純化していて、
勝つことがいいこと、
強いことがいいことだと
多くの人がとらえているようにも思えます。
だからこそ・・・
負けること、
弱いことを見下す風潮もどうしても出てくる。
そういう世界ですから、
弱い子どものなかでは、
どんどん劣等感が膨らむし、
そうではない子どもは優越感を持つために
差別的になることも多いように感じます。
しかし・・・
絵本の世界に触れていたとしたら??
絵本というものは、
そもそも作者である大人が・・・
こういう子どもになってほしい。
こういう世界が大事!と考えて、
絵と文章で子どもに訴えている内容がほとんどです。
子どもに対する願いが込められているのです。
マスメディアからは・・・
バ○ヤロー!○す!という言葉が
日常で流れて聞こえてきますが、
それに触れている子の感覚は、
それが日常であるようにも感じるのでしょうか。
ですが・・・
それに触れていない子は非日常であり、
心が傷つくこともあるのです。
一応、物事を判断できる少年向けの漫画もアニメになり、
物事を判断できない幼子が、
流行りだからと言って・・・
そのままの言葉を受け入れてしまう。
いががなものかな?
とも思いますが・・・
これも時代です。
些細なことで傷ついてしまう
心が弱い子には導きたくないものです。
ここには・・・
傷つかないように受け流しが要となるでしょう。
これも家庭での親子の会些細な会話から身に付くものです。






